大学進学費用の負担の問題に考える「全体の底上げ」の重要性
● ”奨学金破産”は甘えた人の自己責任なのか
“三流大学”でも進学したほうがいい
2018/7/10のPRESIDENT Onlineに上記の記事が掲載されていました。
http://president.jp/articles/-/25606
『教育劣位社会』(岩波書店)
の共著者のひとりでもある濱中教授に、大学進学が社会全体にもたらす経済効果と費用負担に関する課題について、インタビューしたものです。
(引用は『』でくくります。太字と改行は筆者挿入。以下同様。)
その記事の中で、大きく2つ興味を惹かれた点がありましたが、その一つが
『だれもが「必要なときに」大学に行ける社会に』
という点で、
北欧の例を引いて、大学教育の市場の流動化を進めることを主張しています。
この点については、
「ライフシフト(100年時代の人生戦略)と知的資産」
https://wp.me/p8EI7Z-9m
で紹介した、人生100年時代に今後必要とされる資産の一つである
変身資産を個人が身につけるために社会が支援する方法の一つとしても意義があるのではないかと感じました。
● 社会全体の底上げ
もう一つの論点として、「大学進学率の向上による、社会全体の教育レベルの底上げと税収の増加」というものが挙げられていました。
この点については、メルマガ「ロシア経済ジャーナル」の北野氏の以下の論説も参考になるかと思います。
「外国人労働者に「日本語試験」を。ロシアの惨状を知る識者から警告」
https://www.mag2.com/p/news/363805/3
この中で、北野氏は、『ロシア人と3K労働者、3K移民の対立は、居住権の取得に「ロシア語」「ロシア史」「ロシア法」のテストを必須にした後、沈静化しました。』
と移民問題への対応において、言語と歴史、法律の3点の移民のレベルの底上げを図ることで効果を挙げたロシアの事例を紹介しています。
このように、社会全体の底上げを図ることで、いわゆる共通言語の獲得やコミュニケーションの土台となる知識・価値観などの共有を実現し、社会課題の解決につなげていくという手法の有効性を示していますが、これは国レベルの社会課題に限らず、企業などのレベルの組織においても重要な視点かと思います。
● 「尖ること」と「全体レベルの底上げ」の両立
「ドローン企業の「コト売り」にみる「尖ることの重要性」」
https://wp.me/p9D2bS-Dj
で、他社に無い独自の強みを持つ「尖っていること」の重要性についてお話しましたが、同時に自社内、あるいは取引先やお客様も含めた事業全体において、共通言語や価値観などの共有という全体の底上げというのも、また自社の抱える課題への対応やリスクマネジメントの視点からも重要かと思います。
今回の記事のように、「誰がその費用を負担するのか」というのは、中々難しい問題ですが、「働き方改革」に関する行政の支援など、利用できるものを探しながら「尖ること」と「全体の底上げ」を並行して進める必要性を考えさせられた次第です。
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